So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
お城踏査 ブログトップ
前の10件 | -

名古屋城三櫓特別公開 [お城踏査]

名古屋城夏祭り期間に現存三櫓を特別公開しています。

IMG_7411.JPG

西南隅櫓です。

本丸の西南隅にある櫓です。

窓を開くとイメージが変わります。

IMG_7489.JPG

別のアングルです。

IMG_7451.JPG

西南隅櫓の入り口です。

IMG_7452.JPG

一階です。

IMG_7453.JPG

櫓には珍しく障子がはめられています。

IMG_7458.JPG

二階です。

石落としです。

ここから石垣を登る敵を石や鉄砲で攻撃します。

IMG_7461.JPG

西南隅櫓は濃尾地震で石垣ともども倒壊してしまいました。

倒壊した写真です。

その後元の部材を利用して再建されました。

IMG_7463.JPG

その後離宮となり宮内庁の管轄となったので瓦に菊の御紋が入っています。

IMG_7467.JPG

三階です。

窓が開けられて明るいです。

IMG_7468.JPG

櫓には珍しく釘隠しがあります。

これも宮内庁の管轄のためでしょうか。

IMG_7469.JPG

天井も張られています。

通常は櫓には天井は張りません。

西南隅櫓は少し離れた位置にあるので人も少なかったです。

(続く)
nice!(40)  コメント(1) 

山中城@愛知県岡崎市 [お城踏査]

山中城は愛知県岡崎市羽栗町にあった中世城郭です。

IMG_3446.JPG

山中城の入り口です。

IMG_3451.JPG

主郭です。

山中城は標高200mの城山にある山城です。

三河地区では最大級の大きさです。

IMG_3448.JPG

山頂にある説明板です。

築城は西郷氏と言われます。

伝承によると大永4年(1524)に松平清康(徳川家康の祖父)が奇襲により攻め取りました。

天文17年(1548)には小豆坂合戦の際には今川氏の拠点となりました。

今川氏の文書には「医王山」の名で登場します。

永禄3年(1560)には家康の城となりました。

IMG_3449.JPG

山中城の縄張り図です。

図を見ても大きな城であったことがわかります。

山頂には主郭と二の曲輪を中心に尾根に曲輪を伸ばしています。

さらに東曲輪から二方に伸びる尾根にも曲輪を配しています。

IMG_3450.JPG

主郭にある石碑です。

古さを感じる石碑です。

子爵大久保忠言の筆です。

大久保氏は松平清康の山中城攻めの際軍功がありました。

IMG_3468.JPG

堀切です。

説明板が多く設置されていてわかりやすいです。

IMG_3464.JPG

東曲輪です。

きれいに草が刈られて整備されています。

IMG_3466.JPG

馬出とされる曲輪です。

実際には馬出的な機能を持つ曲輪です。

山中城は見ごたえがあります。
nice!(33)  コメント(2) 

塚の越古墳砦@滋賀県米原市 [お城踏査]

塚の越古墳砦@滋賀県米原市新庄にあった中世城郭です。

IMG_3431.JPG

遠景です。

塚の越古墳は6世紀の前方後円墳です。

IMG_3437.JPG

息長古墳群の一つです。

石見型埴輪が出土しています。

IMG_3440.JPG

塚の腰古墳砦は、前方後円墳を利用して作られました。

とても小さいですが、土塁と虎口があります。

IMG_3444.JPG

塚の越古墳砦の縄張り図です。

滋賀県中世城館分布調査報告書からとりました.

図を見ても小さいながら複雑な構成が見てとれます。

歴史はよくわかりません。

しかし、その構造から陣城であったと推定されます。

IMG_3416.JPG

米原市のマンホールです。
nice!(26)  コメント(2) 

箕浦館@滋賀県米原市 [お城踏査]

箕浦館は滋賀県米原市箕浦にあった中世城郭です。

字殿一帯にありました。

IMG_3412.JPG

箕浦館の説明の碑です。

京極氏の被官である今井氏の居館でした。

IMG_3419.JPG

堀跡です。

IMG_3422.JPG

井戸村屋敷跡です。

井戸村にある館ではなくて、井戸村氏の館です。

IMG_3443.JPG

滋賀県の中世城館跡報告書の箕浦館の図です。

箕浦館は、箕浦館、井戸村館、奥屋敷の3つの居館が集まって構成されていました。

殿、城の内、的場の関係地名が残されています。

nice!(25)  コメント(2) 

新城城@愛知県新城市 [お城踏査]

新城城は愛知県新城市西入船にあった近世城郭です。

IMG_3271.JPG

新城城の城門ではありません。

城跡に建つ新城小学校なので校門です。

城を意識した作りです。

IMG_3274.JPG

新城市の名の発祥地です。

IMG_3276.JPG

新城城の石碑です。

IMG_3278.JPG

土塁です。

新城城はほとんどが小学校の敷地となり、土塁と堀がわずかに残るのみです。

IMG_3284.JPG

新城城の復元図です。

新城城は天正4年(1576)に奥平信昌が長篠合戦の戦功により長篠城にかわり築城しました。

長篠城に対して新しい城ということで新城と名付けられたといわれます。


nice!(23)  コメント(1) 

柿本城 その2 [お城踏査]

柿本城の続きです。

IMG_3232.JPG

山頂の柿本城の模擬門です。

簡単な冠木門です。

IMG_3233.JPG

山頂にある説明板です。

縄張り図付きです。

IMG_3234.JPG

縄張り図です。

主郭のみで他の曲輪はあいまいです。

三の丸の位置はおかしいです。

IMG_3235.JPG

本丸跡です。

木標に古さを感じます。

IMG_3238.JPG

石碑です。

鈴木長門守重勝之城跡と刻まれています。

IMG_3241.JPG

二の丸跡です。

特に遺構はありません。

IMG_3245.JPG

本丸に作られた柵です。

IMG_3253.JPG

石積み跡です。

土留め程度の石積です。

nice!(26)  コメント(1) 

柿本城@愛知県新城市 [お城踏査]

柿本城は愛知県新城市下吉田町字柿本にあった中世城郭です。

IMG_3214.JPG

柿本城に行くには新城市下吉田町にある道の駅から登ります。

入口にある説明です。

吉田城は標高190mの子路山にあります。

IMG_3217.JPG

柿本城は永禄11年(1568)に井伊谷三人衆のひとり、鈴木重勝によって築かれました。

井伊谷三人衆は菅沼忠久、鈴木重時、近藤康用の三人です。

昨年の大河ドラマ井伊直虎にも登場するため地元のPRのため建てられたのでしょう。

顔出し看板です。

IMG_3218.JPG

駐車場には柿本城ののぼり旗が!

少し前には考えられなかった光景です。

IMG_3268.JPG

柿本城の遠景です。

IMG_3219.JPG

いよいよ登ります。

麓から徒歩で15分です。

IMG_3228.JPG

登山道にものぼりがはためいていました。

IMG_3229.JPG

約15分登るといよいよ山頂です。

柵列が見えてきました。

(続く)

nice!(38)  コメント(0) 

長篠城 その2 [お城踏査]

長篠城の続きです。

IMG_3189.JPG

長篠城跡にある資料館です。

櫓風の建物です。

IMG_3205.JPG

資料館にある血染めの陣太鼓です。

長篠合戦で使われたと伝えられます。

IMG_3196.JPG

長篠城を包囲するため武田軍が築いた砦です。

久麻間砦、中山砦、鳶ケ巣山砦、姥ケ懐砦、君ケ伏床砦の5砦です。

IMG_3195.JPG

5砦のある山に作られた新東名高速です。

中山砦は破壊されてしまいました。

景観が台無しです。

IMG_3207.JPG

家老屋敷の跡です。

IMG_3209.JPG

弾正郭跡です。

石垣が残っています。

IMG_3212.JPG

林藤太夫高英屋敷跡です。

長篠城の周囲にはたくさんの石碑が建てられています。

IMG_3213.JPG

二の丸にある糧庫跡です。

米倉の跡です。

ここを武田軍に奪われてしまい、かなりの危機に陥りました。

(終わり)
nice!(36)  コメント(1) 

長篠城@愛知県新城市 [お城踏査]

長篠城は愛知県新城市にあった中世城郭です。

合併して新城市になりましたが、以前は南設楽郡鳳来町でした。

IMG_3191.JPG

長篠城は中世城郭としては最も有名なのではないかと思います。

天正3年(1575)の織田信長・徳川家康対武田勝頼が戦った長篠合戦の舞台となりました。

三河山間部の豪族奥平氏は武田氏と徳川氏に挟まれて生き残りを図っていました。

武田信玄が三河に攻め入ると武田氏に従いましたが、信玄が死去すると一転徳川氏に属します。

家康は奥平信昌を武田氏と徳川氏の境目の長篠城主に任命します。

その後武田勝頼は大軍を率いて長篠城を包囲します。

一度武田氏を裏切っている奥平氏は降伏することはできず、長篠城を死守しました。

IMG_3193.JPG

本丸跡です。

大きな碑が建ちます。

IMG_3204.JPG

長篠城の縄張り図です。

長篠城が武田氏の猛攻を防いだ理由は、奥平氏の奮闘もありますが、城自体の要害堅固さにあります。

宇連川と寒狭川の合流地点に築かれて二方は攻められません。

本丸を中心に三重の堀を巡らせていました。

IMG_3188.JPG

本丸の堀です。

巨大なうえに折れが付けられています。

IMG_3190.JPG

本丸の土塁です。

深い堀と高い土塁に囲まれた本丸は鉄壁の守りでした。

IMG_3201.JPG

現在は本丸と野牛郭の間を飯田線が通っています。

(続く)
nice!(26)  コメント(0) 

尼崎城天守復元 [お城踏査]

尼崎城の天守の復元工事を行っています。

IMG_6411.JPG

覆いでわかりにくいですが、現在外観はかなり出来ています。

IMG_6414.JPG

近くの図書館から見るとこんな感じです。

付櫓の形がよくわかります。

IMG_6435.JPG

反対側から見たところです。

IMG_6438.JPG

まだまだ工事中です。

IMG_6412.JPG

尼崎城の天守の完成予想図です。

四重の天守です。

IMG_6413.JPG

現在建設の場所に完成予想図を当てはめたものです。

尼崎城の天守はミドリ電機の社長が10億円の寄付をして実現しました。

近年では大洲城や駿府城のように木造で復元する本格的な復元が多い中、尼崎城は鉄筋コンクリート造りの外観復元です。

おまけにもともと天守のあった場所ではないところに作っています。

天守の方向も異なっています。

IMG_6421.JPG

天守のあった本丸は今は明城小学校の敷地になっています。

小学校が移転しない限りは本丸の復元は無理です。

しかし、天守のあった場所は文化財収蔵庫になっています。

文化財収蔵庫は学校を改造して利用されている古い施設です。

収蔵庫を取り壊して発掘調査をすれば堀の遺構は確認できるでしょうし、本来の城跡に天守を建てることは可能ではないかと思います。

IMG_6428.JPG

本来天守があった付近です。

一度別の場所に作ってしまえば、作り直すことはかなり困難でしょうが、10億円もの寄付をもらって作るために仕方ないこともあるでしょうが、もったいないですね。


nice!(27)  コメント(2) 
前の10件 | - お城踏査 ブログトップ